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2013年07月29日

カッパの使用制限事項

どうやってこのカッパ使えばいいんじゃい?
食うのか?
この大きさのままか?



2013年07月11日

スズキを守ろう、、、総論賛成、各論反対

日本全国129人のファンの皆様こんにちは
グーグルのストリートビュー撮影車を見かけてついていったので
写っているといいなー、のふなです。

 

スズキを守ろう
 

スズキを守りたいと思うのはスズキ釣り師なら思うことではあるが
身近に出来ることからやっていこう。
 

そもそも、スズキ釣りにおいてスズキを守るのと釣るという行為をするのは
相反することになる。
 

なので守りたいスズキのターゲットは何か?を定義しないといけない。
単純にスズキを守れ、と言われてもそのターゲットは何か、
どのスズキを守るのか、という認識が個人で違っていたら
行動はまったく正反対になってしまう。
 

・スズキの数を守るのか
・スズキの大きさを守るのか
 

である。
数を守りたい場合は、大型はキープし、小型はリリースする行動が正しい。
大きさを守る場合は、大型はリリースし、小型はキープする行動が正しい。
ね、180度違うでしょう?
 

そうすると数も大きさも、というわがままな要求が出ると思うがその場合は
釣りをしないという行動が正しい。
 

大型も小型もリリースするという行動は現状を維持したいという目的になるし
大型も小型もキープするという行動は、現状から数もサイズも落としたい目的になる。
 

だから最初に述べたように、
・スズキの数を守るのか
・スズキの大きさを守るのか
が重要な定義になってくる。
 

大型をキープすると、小型化するという研究データが出ている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130620-00000030-san-l19
大型に育つDNAを残すという意味ではとても重要な行為だ。
 

村岡氏はルアーに反応するDNAを残すため、と提唱しているが
まったくもって根拠のないものだと思う。
そんな研究データは存在しないし、証明のしようがない。
妄想でしかないと思います。というか、仮説を立てたらなら検証しないと。
 

現象と原因の違いがわかってないと思う。
ルアーで釣れなくなった→ルアーに反応するDNAを持つ魚が減った
根拠:直感
ルアーで釣れなくなった→学習能力により、ルアーに反応しない
根拠:他の生物で実証
 

トラウトのエリアフィッシングを見ても
山のように魚はいるが、反応する魚は一握りである。
学習能力により、人におびえ、人の姿が見える、感じるときは口を使わなくなることは
よくあることだ。
 

私はヘラブナもやるが、彼らの頭の良さはすごい。
逆に新ベラは警戒心なく食いつくのは知ってのとおり。
メーター規定の池で取材でカッツケやったらバカみたいに釣れたりする。
 

マグロだってナブラに船が突っ込めば群れは沈む。
 

バスも人の気配を感じれば逃げる。
未開の池のバスなどは、エレキモーターの音に寄ってくることがあるくらいだ。
 

そう考えると、ルアーのことを知っているスズキのDNAを残すのは
逆効果だと思うんだけどね。
 

魚は大型化し、スレるので、ボイルの中にルアー通しても釣れなくなる。
釣れるのは小型のみ。という世界が待っている。
どんな世界を作りたいのかで、現在の行動が決まってくる。
 

そういえば、東京湾のシーバスを守って1年くらいになると思う。
1年くらいシーバスを釣りに行っていないのだから大きさも数も守っていることになる。
連日連夜釣りに行っていてスズキを守ろう、は嘘だと思う。
 

また、キャッチ&リリースは動物行動学上でいうと
オペラント条件付けの負の強化といいます。
正の罰だっけな?
 

なんのこっちゃって思いますが、
「人間がいる」→「餌っぽいの食べる」→「釣り上げられ苦しい思いする」→
「人間がいるところでの捕食の頻度を減らす。」
という学習をスズキに行なっているのと同じです。
サルの被害を防ぐために捕まえた猿にお灸をすえて
また山にもどすと、里に下りてこなくなる、という
モデルを実証していたりします。
 

これを一言で言うと「スレる」で片付いてしまいます。
どんなプロもこのメカニズムを説明している人はいませんでした。
 

シーバスのジギング船でも面白い実験していましたね。
キャッチ&リリースする場合と
キャッチ&キープする場合では
キャッチ&キープするほうが釣れるのです。
いけすにどんどん入れ、違う場所でリリースしてた。
 

学習したスズキが群れに帰らないために危険信号を仲間に伝える手段が
ないので、釣れ続ける。ということだそうです。
キャッチ&リリースした場合は群れが沈みやすいのだとか。
 

なので、キャッチ&りリースが100%正しいわけでも
キャッチ&キープが100%正しいわけでもありません。
 

要は自分が将来、どういう環境を残したいのか、という具体的な
目標があって、そのための行動をやって、スズキを守る、ということを
行なってください。
大きいのをキープするのがダメだとか、小さいのをキープするのがダメとか
決め付けない。

大きいのをキープしていたら「ああ、数を守りたいのだな」
小さいのをキープしていたら「ああ、大きさを守りたいのだな」
「最近釣りに行ってない」とぼやいていたら「ああ、大きさも数も守っているのだな」
と善意に理解してあげましょう。
 

ああ、、、最近釣りに行ってないな、、、、

2013年07月05日

未来の景色

5−10年後の未来の景色

フル電動自転車を原付にした。
アシスト自転車との違いはアクセルがあるか、ないかだけなのだ。
逆にアシスト自転車にアクセルをつけると原付になる。

日本の法律上はそうなっている。
原付にするには保安部品が必要になる。ウインカー、ストップランプ、スピードメーター
バックミラー、常時点灯ヘッドライト、ホーンなどだ。
1個1個手作りしたり、市販品を改造したりして、完成させた。

最高時速は25km/h くらい。
調子がいいと28kmくらいだけど、ちょっとした上り坂では20km以下に落ちる。
そんなに大きなパワーはない。

なんだけど、、、

その原付にして町を走る光景は数年前の上海っぽいなとか思いながら乗っている。
数年前に仕事で上海によく行っていた。
そこで電気バイクがブイブイ走っているのを見かけた。
これが日本に上陸するのかな?なんて思っていた。

自転車は車両なので車道を走らないといけない、という風潮が出てきた。
そのためたまに車道を自転車が走るが危ないと思う。
だからと言って歩道は走ってはいけない。
自転車は歩道では交通強者であり、車道では交通弱者なのである。
優位に立ちたい歩道を走りたいのはわかる。

原付は車道を走る、当たり前だが俺の原付は最高速度25kmで、ダッシュも遅い。
見た目、自転車なのにヘルメットにナンバープレートがついているから
なんだ??という目で見られる。

一度小学生の登校時間に「アレ自転車?バイク?」と指差された。
不思議だろうな。大人は思っても口にしない。

さて、本題に戻るが、利用シーンが近未来的で面白い。
まず、玄関に充電の終わっているバッテリーを手に取る。
重さ3.4kg、結構軽い。
これを玄関においてある原付にセットする。
エレベーターでマンションから出発。
ヘルメットをかぶって公道にGO!だ。

公道では思いっきり原付だ。
なんだけど、形が自転車なので、公共のインフラが自転車用のものが利用出来る。
自転車の駐輪場に止められる。
バイクは利用禁止とは書いていないし、係員も気がつかない。
ちょうど、写メールが出たときと同じ現象だ。
カメラ付き携帯が出たばかりの時に携帯で撮影禁止のブースを回って
携帯で写真を撮っていたが、携帯で写真が取れるとは思っていないから
何をしているかわからないっていう時があった。

信号で止まると横にプリウスがいた。
青信号になるとプリウスはキーンという静かなモーター音を立てて発進する。
この原付も同じ。ああ仲間だな、と思う。

ブンブンとエンジン音を立てて走るバイク、車はもう時代遅れなのだ。
ガソリンスタンドの横を通る、そうこのバイクはもうガソリンは必要ない。
自宅に着き、バッテリーを外し、玄関の充電器にセットする。
緑のインジケータが赤い充電中になり、夜間に充電は完了する。

電気自動車の生活スタイルになっていることに気がつく。
プラグイン電気自転車なのだ。
充電は数時間で終わる。かかる電気料金は1回4円程度。
4円で20km程度走った計算だ。満タンだと8円程度で40kmくらい走れる。
燃費のいいガソリン車がカタログ上ではなく、実質燃費でリッター20km走るとして
現在1リットルのガソリンは160円。一方電気は4円。
40倍の差がある。実にエコである。エコであるってことは財布にもやさしい。
SF映画を見ると未来の自動車は電気で走っているが、まさに
それを感じている。

町を電気自転車に走る。まだ見る限り思いっきり少ない。自分以外で
「フル電動自転車を合法的に原付として乗っている人」に出会ったことがない。
そう、私は5年も10年も先を行っている未来人なのだ。

未来人から見た今の風景は面白い。
中古車販売店の前を通ると「お、内燃機関の自動車がまだこんなに残っている、
まるでSL博物館だ」
ガソリンスタンドの前を通る「化石燃料販売店がまだある時代なんだな」
トヨタのディーラーの前を通る「ガソリン車がメインの販売なのか」
日産のLEAF、三菱のi-MEVを見る「懐かしい時代の電気自動車だ」
外国車を見る「バカみたいに燃料費がかかる車がまだあるのか」

どんな車もどんなバイクもガソリンも燃やして二酸化炭素を吐き出し
高い燃料費を払っている。
20km走るコストが俺の40倍もかかるなんて考えられない。
あの燃費の優秀なスーパーカブでさえ、リッター100kmだ。
100円あたり66kmを走る。
この電気自転車は100円当たり500km走る。
あのスーパーカブより燃費がいいのだ、この自作バイク。

勝てるやつはいないのか、、、いた!
エコランカーである。リッターあたり1000kmも走る。
100円あたり660km。負けた。
ただし、公道を走っていない。
公道を走れるように保安部品を付けたら、燃費はもっと落ちるだろう。
100円あたり500kmくらいか。
すると燃費では並んだ。
が、本体価格を見てみると、エコランカーは1000万円以上かかる。
電気自転車は10万円しない。本体価格で100倍の差がある。

まさに電気自転車革命である。
革命の先頭を走っている身としては
海外からに輸入に頼る石油資源を切り捨てれば
世界的にも低エネルギー化すると思う。

タンカーや豪華客船、飛行機が電気エネルギーで飛ぶ日はやってくるだろうか。